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呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書) 大井 玄 (著)

この本は今年5月16日に発売された本です。
著者の本は、数冊読んだことがあります。

この本では、胃ろうの問題を中心にして、人間の理性、情動、判断などについて述べられていました。
タイトルにあるように、カントについて、批判的書かれた部分が多くありました。
本の要旨は、呆けても「好き」「嫌い」の感情の部分は衰えないから、
胃ろうをするかどうかの選択においても、直感的に「いやだ」と、
呆けた(認知症の)人でも判断できるという主張です。

個人的には、「シミュレーション」という言葉を新たに捉えなおすことができた点で、有意義でした。
シミュレーションは、自然科学や工学の分野で多用される技法です。
このシミュレーションと唯識を関連付けて叙述されていました。

その具体例として、唯識派の本山、奈良の興福寺に残された和歌が示されています。
 
 手を打てば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ
 女中は茶と聞く 猿沢の池

どの脳も同一の環境情報をそれぞれの経験と記憶に基づいて解釈し、自分なりの世界を仮構しているということが、詠まれています。


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